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法宝物図録

其ノ1、親鸞聖人御影(しんらんしょうにんごえい)

親鸞聖人等身真向きの御影ともいわれる。
大津近松顕証寺(滋賀県大津市・現近松別院)にて、蓮如上人の御染筆。
最初の真向きの御真影といわれる。

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其ノ2、蓮淳師御度牒(れんじゅんしおどちょう)

折紙、紙本墨書、楮紙 縦27.0cm 横44.4cm
蓮如上人御真筆。
蓮如上人が6男の蓮淳師に「実名兼誉」「法名蓮淳」「仮名三位」を授与された時の文書。
この時蓮淳師は16歳であるところから、おそらく得度して童名「光徳」を替えた時の文書と思われる。
当時、公家・武家・寺家の社会では諱や法名授与の時、「家」の通字(諱等に代々使用される共通の文字)を与える風習がある。
上人は諱を「兼寿」、法名「蓮如」と称され、蓮淳師に自分の諱の「兼」と法名「蓮」の各1字を与えられている。
文明11(1479)年12月30日

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其ノ3、蓮如上人御救済大蛇骨(れんにょしょうにんごきゅうさいだいじゃこつ)

蓮如上人がこの顕証寺(元西証寺)を建立の後、石山)本願寺(現大阪城)を建立され、毎日、御説法を欠かす日はなかった。

とある雨の降り止まぬ夜に妙齢の女性が現れて上人の前にひれ伏して申すには「実は私は前生においてままこいじめをした恐ろしい心を持った母でした。
悪因悪果の法により大蛇に生まれ変わり、毎日毎日数千万の虫が肉を噛み血をすすり、その苦しみはそれはもう耐え難いものです。

私は今、難波潟に住んでおりますが昼の間、上人の御説法がそこまで響き伝わって参ります。
その時苦しみは薄らぐのです。今は夜、お疲れでございましょうが私は夜しか変身できませんので誠に申し訳ありません。
私でも仏になれるように承りましたが、どうぞお救い下さいませ。」と。

上人、痛く哀れに思われ、如何なるものも無条件で救われていく阿弥陀如来の本願力の事を誰でもわかる臨終説法としてお話なさった。
大蛇は喜んで、「後世の人々に我が身をさらして、見せしめとして下さい。」と言って帰って行った。

その後、難波潟に屍体が浮かんでいた。指の爪とうろこは枚方の光善寺に有り、胴体は枚方のおろち塚に有るという。
御堂さん(北御堂)ができる前に顕証寺に移された。

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